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2011年4月24日日曜日

LINTON KWESI JOHNSON


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さてさて今回紹介するのは、イギリスのレゲエ界、いや、世界中のレゲエ界に衝撃と変革をもたらした、
アーティストでもあり、黒人解放運動家、レコードレーベルのオーナー兼プロデューサーでもある、
新たなレゲエジャンル、ダブポエトリーとやらを初めて、世に紹介した人物、LKJこと、リントン・クウェシ・ジョンソンです、
1952年8月24日生・ジャマイカ生まれ
1963年に家族とともに、イギリスへ移住し、大学で社会学の勉強と同時に詩に関心を持ち始め、レゲエ・ダブをバックに自作の詩を朗読する彼独特なスタイルを確立した。いわゆる『ダブ・ポエット』の第一人者である。御大Dennis Bovellとの絶妙タッグから生み出される”ダブ・ポエット”というスタイルでその圧倒的存在感、行動力を世界に知らしめたカリスマ在英ジャマイカ人指導者となっていくのであります、
ロンドンのゴールドスミス大学で、社会学を専攻していました、そして学び,身につけていく事になります、1970年には、あのブラックパンサー運動にも参加し、自分自身の思いを込めた詩を作ってく、、
そしてラスタとの交流もえて彼等と共に,詩人として動いていく事を決意し、詩人と打楽器奏者の初めての融合に成功し、レゲエ&ダブにのせ世界中に彼等のメッセージを彼等独自のジャンル、ダブポエットとして、発信していくのです、ジャマイカのムタバルーカなどにも影響を与えたのはいう間でもありません、、彼の詩は、ほとんどが政治的や差別、人権,アフリカ等の事が書かれていました、それを書く事によって、それを武器にし、黒人解放運動家として世界中に活動していく事を決意していました、

*OFFICIAL MY SPACE

彼の詩の最初の本(Living and Dead)は1974年に発行されました。 彼の2番目の本、(Dread Beat Blood)は1975年に発刊され、ジャマイカの方言で書かれた詩を含みながら、1978年にファーストアルバムとして初めてレゲエミュージックとしてリリースされました。 
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その後は、 Forces of Victory (1979)、Bass Culture (1980)、 LKJ In dub (1980)、Making History (1984) 等の名アルバムを作成し、1980年代の半ばに彼自身のレコードレーベル会社(LKJ RECORDS)を設立しました、過去の作品は,今まで世界中で200万枚以上を売れ上げていきました、
(レゲエのレコードで200万枚売れるという事は、すごい事なんです。)
彼の音源にはすべて、元MATUMBIのDENNIS BOVELLなども絡んでいますので、すべての作品は、とても
すばらしい出来具合で、レゲエ&ダブだけではなく世界中の音楽のジャンル中でもベストにはいってもいいぐらいの最高品質の歴史的な名盤ばかりです。

1980年に彼の3番目の詩の本、Inglan Is a Bitchを発行しました。 彼は、主として1980年代にジャーナリストとして働いて、Channel4テレビのレポーターでもありました、
日本にも数回来日経験があり、ダブバンド、LITTLE TEMPOがフロントアクトを勤めていました、LITTLE TEMPOがDUBバンドとして、影響を受け、DUBを始めようと,決定付けさせた人物、、、、そう!LKJその人でもあるのです!!LIVE共演はなかったものの、しっかりと、LITTLE TEMPOのアルバム、に数曲、リントンも参加しています、当時の集客率はどうだったんだろうか??日本人に受け入れられたのか??
僕らは、あの暗く重いサウンドに彼の詩が乗るところが大好きだが、ほぼ一般ピーポーは、リントンの音楽性に理解苦しむのが目に見えます,(笑)
実際、僕らも彼が何を言っているのかが、英語でも独特のなまりなので、理解できませんが、、
そこはバイブスでね!

2005年に、ジャマイカ政府によって、詩の分野の高位のためにマスグレーブメダルを彼は与えられました、そして彼が主演した超貴重な16ミリ・フィルムDread Bea An' BloodもDVD化日本語字幕版も発売され、あまりにも有名な同タイトルのLPの発売年でもある1978年にイギリスにて制作された本作には若かりしLKJの雄姿は勿論のこと、70年代UKシーンにおける最重要サウンドシステムであったJah Shaka、Dennis Bovellやスタジオ・セッションなどの資料性の高いシーンも数多くしっかりと記録されており、これぞ歴史的発掘と呼ぶべき充実した内容。今回世界初の商品化なのです。


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